インターネットの普及期

Dメディアの歴史は欲望の発露と規制、さらなる欲望の発見の繰り返しといっても過言ではない。

 

そもそもDという言葉は、インターネットの普及期に、いわゆるDサイトの登場とともに広がったものだ。

 

もちろんそれ以前からD目的のメディアがなかったわけではない。

 

メディアが電子化される以前、人々のDしたいという欲望のはけ口は雑誌の文通欄が担っていた。

 

本来は同好の士や文通相手探しの場だが、なかには恋愛や結婚相手を求めて投稿する人もいた。

 

文通相手やが外国在住の場合、ペンパルなどと呼ばれた古き良き時代。

 

こうした手法はのちに雑誌に結実するが、この時代徐々にであるが、Dの対象は広がりをみせていた。

 

大衆のDへの欲望を一気に加速させたのが、Tである。

 

1985年に日本初のTが登場。

 

男性が個室で待機し待つというシンプルシステムだった。

 

客が競って受話器をとるのは、まさに男のD願望を具現化したものだったのだろう。

 

しかしTは個室での待機システムやあからさまなD目的が逆に足枷になったのか、一定のユーザーを獲得したものの、爆発的な広がりには至らなかった。

 

利用者にどこか後ろめたを抱かせたのも敗因にひとつだった。

 

その壁を取り除いたのがDDなどの新サービスの台頭と普及である。

 

自宅電話からも利用可能だったために自宅DDとも呼ばれた。

 

時間や場所の規制がなくなり、つながりたいときにつながるメディアとしてT以上に多くのユーザーを獲得。

 

都市にと地方の格差を撤廃したのも成功の大きな要因だった。

 

その一方でDメディアの普及はいらぬ犯罪を呼び込んでいく。

 

青少年の利用や高額料金システムなども社会問題化。

 

以後、自宅メディアでのDは急速に衰えていくわけだが、かわって台頭してきたのがDツールとしてのポケベルだった。

 

本来はビジネスツールだが、アラーム機能だけでなく、メッセージを打ち込めるようになると、中高生を中心に利用者が急増。

 

90年代中盤にはいわゆるベルともがブームになり、あったこともない相手にメッセージを送ることが日常化していった。

 

90年代はインターネットの普及期でもある。

 

パソコンユーザーの増加にともない、いわゆるDがお目見えする。

 

当初はパソコンをもっていないと参加できない特殊な場であったが、ユーザーの激増によりアクセス数は急増していく。

 

2000年になると、NTTのIcモードの登場を機に携帯電話が青少年に広く普及。

 

一家に一台だった電話の時代から1人1台のパーソナルメディアの時代に突入し、Dの利用者も一気にに激増した。

 

その気になれば、見知らぬ相手と誰もが会える時代の到来である。

 

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